悩む学生に火を付ける?むしろより悩ませる?研究室紹介シリーズ01「不便益を学んだ学生は卒業後どうなった?」
悩む学生に火を付ける?むしろより悩ませる?研究室紹介シリーズ01「教授×学生の本音対談!不便益を学んだ学生は卒業後どうなった?」
大学に入学する学生にとって気になる「研究室」。調べて出てくるのは教授の華麗な経歴や卒業生の多彩な就職、進学先一覧…魅力だけが映る一方で、実のところ知りたいのは、整った情報だけではなく、「実際どうだった?」なのではないでしょうか?
本シリーズでは、研究室の教授のみではなく、所属する学生や卒業生の声をも取り上げることで、大学に入ったばかりの1回生やそろそろ将来や研究室のことを考えないといけない2,3回生を中心に研究室に所属するということと、その先の未来を考えるためのヒントをお届けします。
今回ご紹介するのは、「不便益」の研究をされている川上先生とその卒業生の内藤さんです。「不便益」と聞いてぱっと浮かぶことは何でしょうか?不便と利益が合わさったようなこのことば、一見するだけでは経済、工学、文学のどれのようにも一見聞こえない、不思議なキーワードを対象にした研究とは? 何より、このキーワードを研究することになった当時の学生の思いは? ざっくばらんな形で今だからいえる本音をお伺いしました。
〈内藤さん〉
内藤です。今はSK特許業務法人という特許事務所で働いています。弁理士という資格を持っていて、企業や個人の発明を聞いてそれを書類化して特許庁に申請する、そのお手伝いをしています。
〈川上先生〉
川上と申します。内藤くんが研究室に来てくれたときは京都大学の情報学研究科というところに所属し、研究室をもって内藤君などを指導していました。
その後京都大学にデザイン学というのが立ち上がることになり、面白そうだと入ってみたら、なんとそこは学生の研究指導ができないところで、なんじゃこりゃとなり(笑)、でまた情報学にもどり、今は京都先端科学大学で学生研究指導を始めています。今は指導学生がついたんですが、海外の留学生でして、(COVID-19の影響で)日本に入国できないということで、まだ本格的な稼働はこれからというところです。
不便益は捉え方でもあり、人によっては利益にもなりうる「原則」
〈川上先生〉
不便益とは不便の益、英語でいうとbenefit of inconvinienceと言ったりするのですが、世の中、特に工学系になると便利ということがとても大事で、とりあえず手間がかからないことが良いことだとして、開発や発想支援を行うのが一般的です。しかし、あえて不便じゃないとだめなこともあるのでは?不便だからこそ得られる利益としてどんなものがあるのかを調べて、新しい物事を発想するときや発明のときのプリンシプル(原則)にしようという考えです。
不便益の例として、スポーツも不便益の一つかなと思っています。要するに制約があるから楽しい。例えばバスケットボールで、ボールをゴールに入れるために人を殴ったりしてもよい、すなわち自由だったら多分楽しくないですよね。そういう意味ではルール、制約という「不便」があるからこそ、楽しさが生まれ、工夫が生まれる、見ようによってはそれも不便益の考えだと思っています。
ちなみにもっと厳密な考えの不便益というのもあって、いわゆる工学的に応用できるような要素がなければ不便益ではないという考えもあります。むしろ内藤くんのときはそのいわゆる狭義の不便益の研究をしていました。
〈内藤さん〉
僕が人に説明するときの例としては「クルマのマニュアルとオートマの違い」を挙げていました。マニュアルは初心者には難しくて、簡単に運転したい人にとっては不便なんですけど、熟練していくと、オートマではできない調整や、自分でコントロールしている感覚が得られて、オートマより燃費をよくしたり効率良い走りを極めることができる。
ユーザーの使い方によっては不便ですが、どんどんその益も得られるというか、有能感や自己肯定感を高めることが良いことであり、そういうマニュアル・トランスミッションのようなものを作り出せないか、ということでやっていましたね。
不便益はなんか面白そう、実はそんな理由で入っていました
〈内藤さん〉
入学時は不便益の研究室に入ろうなんて、全く思ってませんでした。工学部物理工学科でしたので、メカとかに興味があったのでそういう研究室にでも入るのかなーみたいな…ことをぼんやり思っていましたね。
3回生の研究室配属前の授業で発明発想支援という少人数の授業があって、そこで川上先生と出会いました。そのときにホームページを見たら、不便益の事例を上げておられて、「こういう考え方もあるんだ」っていうことを知り、面白そうだなーって思った気がします。
3回生となったら研究室や将来のことを多少意識するのですが、どういう先生なのかなっていう人柄の面も見ていたように思います。
決め手としては、メカ系も面白そうだったんですが、もっとわかりやすく面白そうだったので、それに流されたというか(笑)、本当に工学的な研究をしたかったら違ったと思うんですが、社会生活とのつながりがわかりやすかった。人との関係を重視しないと成り立たない話ですし。
機械工学はモノ中心で、効率を良くすることが最重要、だと当時は理解していたので、それらを比較したときに面白そうっていうのがありますね。
(工学から人に興味が寄った理由は?)その時の気分ですかね(笑)。今思えばどっちもやれば楽しかったのかなと思います。そういう意味では川上先生のウェブサイトに影響された可能性はあります(笑)
あとは部活をやっていたので、部活動に制限のありそうな厳しい研究室はいやだなって思って、川上先生はゆるそうだなと(笑)ちなみに部活は4年間バスケットボールをやり、大学院にも進学したのですが、そのときは女バスのコーチをやっていました。
〈川上先生〉
内藤くんが来てくれる数年前までは僕の上にも教授がいらっしゃって、その時はその方のカリスマ性に惹かれてくる人が多かったんですよね。深い話を聞きたいみたいな。僕はどちらかというと面白そうって思ってきてくれる人が増えてきたころですね。
〈川上先生〉
当時からウェブで発信はしていましたが、新聞、テレビで取り上げられるのは年に2,3回くらいで、余り世の中には広がってなかったかな。最近だと、飲み屋で飲んでいたら隣の席から不便益って言っているおじさんの声が聞こえて、すごく興味があって先生のことを調べてメールしました、という例があったり…アクティブな学生がたまにいますね。
将来の夢はぼんやりしてたけど研究室は楽しかった
〈内藤さん〉
大学入学時点で、なんとなくですけど研究者になりたいというのはありました。とはいえぼんやりとしてたので、不便益をやり始めて、新しい考えですし結構これで研究していくのは大変なのかもしれないなと(苦笑)。
ただ、まあなんとかなるでしょ、と。バスケもやってましたし、バスケ引退してから考えようみたいな感じでした。4回生の秋頃かな、研究ヤバいし部活も最後のリーグ戦があって、まあ必死でした。
就活も全然する気がなく、6年間、大学院にいくことは自分にとって既定路線の上で、夏に院試を受けていました。大変でしたが、結構楽天的なところもあって、まあなんとかなるかなとも思っていました(笑)。
大学院の生活については、なんとか卒業論文が終わって、よしまたバスケができるぞと(笑)。ということでしばらく研究は下火になったんですが、でも研究室の生活自体はとても楽しくて、週1ミーティングやランチミーティングもあり、論文紹介といった集まり自体は好きで、ちゃんと休まずに行ってました。そもそも、研究室に自分の机があったので、授業がないときは研究室に入り浸っていて、夕方になったら部活に出かけるっていう、いわば研究とか関係なくそこに生活拠点があった感じですね。
〈川上先生〉
うん、とりあえずそこにいてコーヒー飲んでるだけとかあったよね(笑)
〈内藤さん〉
とりあえず授業終わったら行くかっていう、部活の部室と研究室の「部室」という感じで拠点が2つあって、恵まれてるなあと今振り返ってみて思いました(笑)。
研究室の思い出はいろいろあるんですけど、研究室でグダグダ生活している中で、その他のメンバーと色々議論したりするのは面白かったですね。特に研究とつながるかわからないけど、色々喋って、なるほどこういう考え方もあるのかって思えたり。川上先生とも二人で飲みに行ったりしてました。先生との距離というより、一緒に研究するチームのような…
〈川上先生〉
内藤くんよりもう少し下の世代の研究室の学生の時代なんかは、僕が火曜1限の講義だということを知っててあえて月曜の夜に研究室で鍋をはじめるんですよ。そこに僕は無理やり引きずりこまれる結果、毎週研究室で一夜を明かさざるを得なくなって、次の日の1限講義をしたという…なんで月曜にわざわざやるねんと(笑)内藤くんはそこまでひどいことはしてなかったですね。
〈内藤さん〉
僕は部活をやっていたからですね、身体のコンディション的に睡眠はちゃんととらないとなと(笑)。
目の前のことをやり続けて、振り向いたら後ろの道はしっかりつながっていた
〈内藤さん〉
修士2回生になり、就活をはじめました。いわゆるメーカーや大企業も受けたのですが、うまくいかなくて。ことごとく落とされまして、就活がうまくいっていたという印象はなかったですね。後半になって、この研究室に入った当初のきっかけでもある、発明発想のこととの関連で「弁理士」という仕事があるのを知っていたので、特許事務所に面接に行ってみたら、来ていいよって言われたので入ることにしたっていう感じですね。そういうわけで、ポジティブな理由でこの分野に進んだわけではないかもしれないですけど、結果10年くらいこの業界でやってきていて、それなりに楽しくやっている感じはありますね。
特許事務所では今は権利化業務といって、企業が発明したモノやシステムについて説明を受けて、その本質的な要素(新規性と進歩性)を抽出して、その部分がこのモノやシステムの大事なところですよ、というところを文章にし、その上でその権利範囲を明確にした上で申請をする、そんな仕事をしています。
モノの説明をするだけなら今の時代、AIでもできると思うんですが、権利範囲を抽出したりという部分がまだ人間にしかできない特殊な作業なので、やっていて面白い部分ですね。
〈川上先生〉
職種が発明や発想に関係する仕事を選んでいるという、そのきっかけは彼の3回生の演習からスタートしてるのかなと感じました。
〈内藤さん〉
当時の授業は自分で発明して自分で権利化してみようという内容の授業でしたね。今仕事でやっているようなことを授業でやっていた気がしますね。
〈川上先生〉
なんかいつの間にかつながったね(笑)。不便益も工学的な応用だけではなく、発想支援に使えないかというのが大きなテーマの人でもあり、内藤くんの卒論もその部分を捉えているもので、発明、発想という意味では不便益にもつながっているように思いますね。
〈内藤さん〉
自分との仕事とのつながり、そういう観点では、不便益の研究で僕が何をやっていたかと言うと、ひとつの不便益について事細かく分析していたんですが、その部分が今の仕事にもつながっていて、クライアントの発明を細かく分析して、ここに効果がある、ここに技術的な先行要素がある、といった分析をするという点においてはやってることは同じかなと。
今回の対談のお題を頂いたときに必死に考えて思いついたんですけど(笑)、たしかにそうだなって思えて、腑に落ちたところはありますね。ずっと不便益とは違う仕事をしているなってもやもや感が少しあったんですけど、いざ振り返ってみると、近いことをやっていたのかなという気はしました。
読者へのメッセージ
〈川上先生〉
先がわからないからちょっと不安、みたいな学生にということなんですが、先が見えていて決まったとおりになるというのは便利なようなんですけど、多分つまらないんですよね。
偶然とか思いがけないようなこと、そういうのって実は楽しいことで、予定調和で先が見えてるなんてなんてつまらないんだと。
見えてないからこそ可能性にあふれている。そういう不便なように思えることを、楽しんでくださいねっていう感じです。
〈内藤さん〉
僕はあんまり道を決めずに目の前のことをやっていけばなんとかなるかなって感じでやっていったんですけど。まず、なにか夢を持っていて、それに向けて進んでいく人ってそれはとても素敵なことで、当時もそういう同期がいてすごいなって思ってたんです。
でも、そうじゃない場合で、悩んでいる人向けの、僕みたいな人へのコメントとしては、目の前のことをやることは大事だと思っていて、迷っているから何もしないよりも、目の前のことをひとまず取り組んでいけば、将来その道が決まったときに、役に立っていたということも多いなと。あと、充実した生活を送っていたな、という思い出が、今の活力になっている気もします。
ですので、不安な気持ちがあったとしても、その目の前のことに取り組んでいけば、なんとかなるよっていうことを言いたいですね、えらそうですね(笑)。
たまたま僕がうまくいっただけかもしれないですけど、目の前のことで、かつ楽しいことがあれば、それに全力で取り組むっていうのが一番良いのかなと思います。